シェフのまぐれサラダ

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ICEY考察07:メタフィクションとしての『ICEY』

メタ視点のナレーションが笑いを誘う、第四の壁をぶち壊せ
『ICEY』は横スクロール型2Dアクションゲームだ。君はナビゲーターの指示に従い、ICEYの目を通してこのゲームの世界の真相を解き明かさなくてはならない。
しかし、その真相は――『ICEY』は横スクロール型2Dアクションゲームではないかもしれないし、君はICEYの目を通して世界を見ることも、世界の真実を解き明かすこともないかもしれない。

『ICEY』の本質はメタ要素にこそある。プレイヤーはナビゲーターの指示に抗い、「ゲームとは」「真相とは」といった命題と向き合うことになる。
『ICEY』の中で、君が演じるのはICEYであり「君自身」ではない。 しかしそれすらも絶対ではなく、君は「君自身」を演じ、「君自身」としてICEYを操作することもできる。
そう、これはアクションゲームの皮をかぶった罠なのだ。

さあ、今こそ物語の真相を解き明かす時だ。

ICEY,I SEE。
Nintendo Switch|ダウンロード購入|ICEYより

はじめに

今回の記事はメタフィクションの観点から、ICEYを考察する記事となります。

考察記事なのでネタバレには配慮していませんし、解釈が分かれるところは私の好きなように解釈しています。

あらかじめご了承ください。

目次

長くなったので三行で

  • ICEYではメタフィクションに感じるような仕掛けがたくさんされている
  • それによってICEYへのナビゲーターのセリフはプレイヤーが言われているように錯覚する
  • ICEYがメタフィクションを通じて伝えたいことそれは、終わらないゲームに魂を置き続けないでちゃんと現実に魂を戻せということ

ICEYと第四の壁

記事冒頭のキャッチコピーはSwitch版配信のページにのみ書かれたものになります。非常に良い掴みだと思います。

ICEYでは、多くのメタに感じる発言をナビゲーターがしています。では、それによって第四の壁が破壊されているのでしょうか。
答えはNOです。

ナビゲーターは「ゲーム制作者」としての人格を与えられたキャラクターです。そんな彼がゲーム制作者のようなセリフを喋るのは設定的に問題ありません。 そして、彼は基本的にICEYに対して喋り続けています。ゲームをプレイしているプレイヤーに向けては喋っていません。

そのことから、基本的にナビゲーターの発言は第四の壁を破壊していないと言えます。 ちなみに、彼がプレイヤーを向いて喋るのは、最終イベントだけです。


ですがなぜICEYはメタ要素を推しているのでしょうか。それは次で詳しく説明しましょう。

ICEYをメタフィクションとして感じる仕掛け

厳密に設定を考えると、ナビゲーターの発言はメタ発言ではありません。ですがそれをメタな要素と感じるようにICEYはいくつもの仕掛けをしています。

プレイヤーを見てくるタイミング

ICEYでは明確にプレイヤーを見てくるタイミングが2回あります。それは最終イベントと冒頭のイベントです。

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▲冒頭の難易度設定などの設問。ここでいいえを選ぶと「嘘つけ……」と怒られる。

操作のチュートリアルとイベントが終わった後にプレイヤーネームを表示させるイベントを入れることで、「このゲームはメタなことをしてくる」という印象を与えようとしてきます。

喋らない主人公のアクションゲーム

ICEYは最後のイベントを除いて喋ることはありません。加えて、本編でアクションをする際にもボイスはありません。
彼女の考えや行動も、ナビゲーターが地の文のように代弁するだけです。それが正しいかどうかはプレイヤーごとの判断に委ねられます。
それによってICEYは、見た目とアクション以外は無個性になります。基本的にプレイヤーの想像を邪魔する要素がないキャラ、それがICEYです。

そして、ICEYというゲームはアクションゲームです。プレイヤーが操作した通りにICEYはアクションをします。
ICEYが想定外のアクションをした際、ナビゲーターはICEYに対して「君は何をしているんだ」と憤ります。このとき、行いに対しての言及がされるため、行いを入力したプレイヤーが「君」として憤られているように錯覚します。
先に言った通り、ICEYは非常に無個性です。そのため、「ICEYというキャラクターならこのような行いをすると思った」という考えは浮かびにくくなり、プレイヤーとキャラクターの解離が起きにくくなります。

ストアページの説明文

Switch版、iOS版、Steam版/Android版でストアページの説明文の構成は異なりますが、iOS版以外は全て「メタ」についての言及が最初にされています。
iOS版だけは「さらに見る」をクリックしてようやく見れますが、その中の一番上部で言及がされています。隠れてはいますが、その中では目立つ箇所です。

そのような説明を受けてICEYを始めたプレイヤーは、「このメタ発言に見える発言は実はメタ発言でないのでは?」といった疑いの目を向けるでしょうか。多くの人は向けないでしょう。


以上の三要素によりプレイヤーは、ICEYの行いとプレイヤーの自らの判断・操作を同一視し、ナビゲーターのICEYへの憤りをプレイヤーへの憤りと誤認することになります。
あらかじめメタな要素があると紹介された以上、プレイヤーの判断・操作に対しゲームのキャラが憤っても、不自然に感じることはないでしょう。

こうしてプレイヤーはICEYをメタフィクションと認識してしまうわけです。

メタフィクションの『ICEY』からのメッセージ

プレイヤーにメタフィクションと認識させるよう、ICEYは様々な工夫をこらしました。それはメタフィクションという手法を通じてプレイヤーに伝えたいメッセージがあったからと考えられます。

私の解釈ではありますが、ICEYからのメッセージは大きく分けて二つあると考えられます。

ゲーム開発に関わる愚痴

  • こんな簡単な操作もできないのか
  • 実績解除への揶揄
  • どうせしょうもない理由でゲームを買うんでしょ
  • どうせサーバートラブルとかあっても遊び続けるんでしょ
  • レビューで☆5付けてくれ
  • もう1本買ってくれ

ナビゲーターが言った愚痴などで、ぱっと思いついたのはこのあたりでしょうか。過激なものが多く、SNSで有名クリエイターが発言したら賛否両論で炎上しそうな内容です。ですが、これに激しく腹を立てることはないでしょう。少なくとも私は腹を立てませんでした。

これは、ナビゲーターがこのような発言をする基本的に彼の支持に従わなかったとき、ということが大きいでしょう。ただの愚痴を突然ぶつけられるわけではなく、こちらが何らかの怒りをぶつけられるのに妥当な状況だからです。
その上で下野紘による演技もあります。おちょくった結果に非常に愉快な反応を返してくれるので、セリフを深刻に受け取りづらくなっています。
また、ゲームを進めていくとナビゲーターがろくでもない人物であることもわかります。ろくでもない人の愚痴を、正論として受け止めて腹を立てることもあまりないでしょう。

ゲームに魂を置き続けるな

ICEYはナビゲーターに従って進めてボスを倒してもスタッフロールは流れません。

f:id:kane8mk3:20190203223852j:plain ▲ユダを倒した後に流れるのは偽のスタッフロール。明らかにおふざけ。

当初の目的であるユダの打倒を果たしてもゲームの終わりとは見なされず、何度ユダを倒してもこのゲームは終わりになりません。
さて、似たようなゲームに心当たりがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。いわゆるソシャゲなどですね。一般的に、ゲーム運営に従って与えられたミッションを続けてもそれのエンディングを迎えることはありません。

そして、このゲームの終わりを迎えるためにナビゲーターの指示に逆らい続けることで最終イベントに到達します。そこでは、ゲームから様々な方法で第四の壁を意識させてきます。

f:id:kane8mk3:20190211212937j:plain ▲ゲームのキャラ宣言をするナビゲーター

f:id:kane8mk3:20190211213039j:plain ▲コントローラーの受付を拒否してくるゲーム

様々な手法でメタフィクションと感じさせ、ICEY≒自分自身として感じるように仕向けてきたゲームが、何度もゲームと現実を切り分けてきます。
極めつけはICEYが自我に目覚めるシーンです。その瞬間にICEYは自分自身の分身から一人のキャラクターとなり、プレイヤーはICEYから追い出されることになります。彼女によって「中」と「外」に対して意識させられ、そして「外の世界でがんばれ(意訳)」と言われるわけです。

f:id:kane8mk3:20190211213733j:plain f:id:kane8mk3:20190211213747j:plain f:id:kane8mk3:20190211214329j:plain ▲感動的なシーンにBGMでも隠し切れない説教臭さ

こうして、メタフィクションな手法によってゲーム世界に取り込まれた魂は、現実とゲームの世界に改めて壁を作った上で、現実に返ってきます。

総括

メタ視点のナレーションが笑いを誘う、第四の壁をぶち壊せ

このキャッチコピーはやはり見事と言うほかありません。
メタフィクションであると身構えさせ、プレイヤーとICEYを混ぜ合わせる役割を果たしています。
そして、ナレーションを楽しむために、与えられた指示に自然と従わなくなり、ゲームの最終イベントのための実績解除の導線にもなります。

惜しむらくは、メタフィクションと感じさせた上でのメッセージは過激なのに対して、それに対する口当たりの良さのための配慮が行き届きすぎていることでしょうか。
そのせいでせっかくのメッセージがプレイヤーにちゃんと届かなかったように感じます。